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ヒンドゥー教における身の処し方 −âšrama‐説を中心に−

(大正大学綜合佛教研究所公開講座) 2002年12月4日 古宇田亮修

今年度の公開講義の共通テーマは「身体と言葉と心」ということでありますが、私は梵文学を専攻しております関係で、インド古来の民族宗教でありますヒンドゥー教の文献を資料として今回のお話をさせていただくことにいたしました。

「人はいかに生きるべきか」というテーマは、おそらくあらゆる宗教において主題となっていると考えられますので、今回は、ヒンドゥー教ではどのような生き方が「身体と言葉と心」の理想的な状態と説かれているか、に焦点をしぼってお話をしたいと存じます。タイトルに掲げました「身の処し方」という言葉も、そのような意味に採っていただければよいかと存じます。

そして、副題にかかげました「âšrama‐説」と申しますのは、一般には「四住期説」という訳語で知られておりますが、ヒンドゥー教の重要概念(キーターム)でありまして、一人の人間の生涯を4つの段階に区切って、それぞれの段階における義務を説いたものであります。その4つとは、brahmacarya‐, gârhasthya‐, vânaprasthya‐, samnyâsa‐、でありまして、それぞれ「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」と訳されております。

近年(1993年)、Texas大学の教授でありますPatrick Olivelleという学者によりまして、そのâšrama 説の歴史に関する新たな研究が発表されております。また、私の研究室の大先輩にあたります白石凌海博士の学位論文は、アーシュラマの中でも「林住者」と「遊行者」の生活に関する詳細な研究(1996)であります。

これら最新の研究によりまして、âšrama‐説がどのように始まり、どのように成立していったか、という歴史的な展開が、ようやく明らかにされ始めたというのが、現状であります。個々の文献成立の年代などにつきましては、まだ定説といえるほどのものがない状態であり、ましてや思想や概念の発達などというよりデリケートな問題につきましては学界の総意が得られた研究というのは存在しません。また、私自身におきましてもOlivelleの論述に従いがたい点もございますので、本日のお話は、あくまでも現時点での私の考えにすぎない、ということをあらかじめお断りしておきます。

それでは、まず本論に入る前に、バラモン教(英語で言うBrahmanism)とヒンドゥー教(英語で言うHinduism)という概念について少々お話しさせていただきます。『南アジアを知る事典』によりますと、「バラモン教」は次のように定義されております。

「バラモン教とは、ヒンドゥー教の前身で、しかもその核となっている宗教、社会思想」

このbrahmanismという言葉は、近代のイギリス人がバラモン(Skt.Brâhmana, Eng. Brahmin)中心の宗教を呼ぶために作った造語であります。これは、実質的にヴェーダに説かれる祭祀を行う人々の宗教を指す意味で使われることが多いので、ヴェーダ教(Skt. Vaidika, Eng.Vedic religion)と言い換えることも可能でありますが、ヴェーダ教という言葉はあまり用いられていないので、私もバラモン教と呼ぶことにいたします。ここで私の定義を述べさせていただくならば、「バラモン教とは天啓聖典(šruti‐)を信仰し、シュラウタ祭・グリヒヤ祭を行う宗教」であります。

一方、ヒンドゥー教といいますのは、中世インドに侵入したムスリムたちが、ムスリム以外のインド人を指してHindu(ペルシア語)と呼んだことに由来します。現代のインドで、イスラム教、キリスト教、ゾロアスター教、仏教(neo‐Buddhism)などの宗教を除いたものがヒンドゥー教とされ、人口の約8割近い人がその信徒とされております。一つ注意すべき点としましては、バラモン教を含む広い意味でこの言葉を用いる人もいることであります。このような混乱を避けるためには、バラモン教とヒンドゥー教を合わせた概念を指す言葉として「インド教」ということばを使うのが適切であると思われますですが、残念ながら、この言葉は一般にはほとんど用いられておりません。

この2つの宗教の歴史的関係を図示したのが、以下の図であります。これをみれば一目瞭然でありますが、この図からわかることは、インド教の歴史とはバラモン教からヒンドゥー教への移行の歴史である、ということです。

それから、もう一点だけ本論に入る前に注意しておく必要があるのは、日本国憲法においても述べられているような「政教分離」すなわち「政治と宗教の分離」という概念は、少なくとも古代インドにおいては存在しなかったことであります。ヴェーダ文献やヒンドゥー聖典は宗教的聖典であると同時に、政治的統治の一手段でもあることは、我々現代人が見過ごしがちな点でありますが、これらの文献を扱うに当たって、宗教的文脈だけでは理解できない点も、政治的文脈を考慮することによって解決する場合も多いことを一言補足させていただきます。

本論

ヒンドゥー教の特徴を一言で現す表現として、varnâšramadharmaという言葉がよく用いられます。この複合語はヴァルナとアーシュラマとダルマという3つの単語に分解され、「ヴァルナとアーシュラマに関するダルマ」を意味します。

ヴァルナとは本来「色」を意味し、ヴェーダの担い手が肌の色により人間を分類したことに由来する階級概念と推測されます。Brâhmana‐「司祭」, Ksatriya‐(Râjanya‐)「武家,王侯」, Vaišya‐「実業者、庶民」, Šûdra‐「奴隷」の4階級を指します。ヴェーダを学習する資格があるのは、「二度生まれる者(もしくは再生族)」(dvija‐)とよばれる上位三階級であります。すなわち、一度目は母親の胎内から、二度目はヴェーダ学習の入門式(upanayana‐)において誕生を迎えるものとされております。

これに対し、アーシュラマとは元来「修行場」を意味し、「苦行林(tapovana‐)」に近い概念であったと推測されますが、Manusmrtiという文献におきましては、

「(人生において通過すべき)修行段階」を意味するようになります。これには、4種がありますが、先ほど述べた通りであります。

次に、ダルマ(dharma(n)‐)とは、√dhr‐「支える、保持する」を意味する動詞語根に、行為者名詞を作る接尾辞穃an‐を付加して作られた名詞でありまして、「支えるもの、保持するもの、宇宙秩序」を意味します。リグヴェーダでは中性名詞dha・rman‐という語形がほとんどであるが, 後代では男性名詞dharma‐という語形のみが用いられております。ダルマは万物の背後から、万物をそれぞれ本来の位置に固定する役割を担っているものとされ、即ち、太陽が天地の間を進むのは、ダルマに従うからであるとされます。この観念がひとたび人間に適用されると、「ある人間を本来の在り方にとどまらせる潜在力」を意味するようになり、「本来的な生き方」「義務」「正義」などの多様な訳語で表される観念を担うようになりました。すなわちvarnâšramadharmaとは「各ヴァルナ(階級)・各アーシュラマ(段階)における正しい生き方/本務」を意味しております。

それでは、次に、âšrama説の成立につきまして、詳しく見てゆきたいと思います。

âšrama‐という言葉は、Mahâbhârataにおいて禁欲的生活を行う修行者たちの隠棲所を指して用いられておりまして、「庵(いおり)」とか「精励刻苦の場」(渡瀬信之氏の訳語)と訳されております。この言葉は苦行林(tapovana‐)という語と並列的に用いられておりますことから、苦行林に近い概念であったことがわかります。そのMahâbhârataにおける登場回数は、Olivelleによりますと160回以上といわれます。この言葉は、本来、√šram‐「努める;疲労する」という動詞語根に「こちらへ」というような意味の前綴âを付加して作られた語でありますので、「努める場所」すなわち「修行場」を意味していたと思われます。しかしながら、いわゆる新Upanisad類を別にするならば、Šruti「天啓聖典」におきまして、名詞âšrama‐も動詞â√šram‐もほとんど用いられておりません。

また、Râmâyanaにおいても、家長の生活を讃える偈において1回用いられているのみであります。隠遁者、遊行者に言及することはあっても、それをâšrama‐に結びつけて述べることはありません。このことから推測するに、Râmâyanaの著者Vâlmîkiは、âšrama‐という言葉を知らなかったか、後代ほどその言葉がまだ一般的でなかったものと推測されます。Râmâyanaの全訳を行っておりますGoldmanという学者によりますと、Râmâyanaは紀元前5世紀もしくは4世紀以前に作られたとされます。

一方、仏教経典の中の最古層に属すると言われておりますスッタニパータ3.7「Selasutta」におきましては、結髪行者ケーニヤが親族や仲間と共に「庵」にとどまって修行している様が描かれております。その庵という意味のパーリ語assama‐という単語は、サンスクリットのâšramaに対応する言葉であります。Râmâyanaとの前後関係は明らかではないのですが、このassama‐という言葉は、沙門たちの間ではきわめて一般的な普通名詞ではなかったかと推測されます。

ところで、このケーニヤという人物が独身であったか否かはこの箇所からは明らかではないのですが、ケーニヤの師匠であるセーラというバラモンがケーニヤに対して「君、ケーニヤには[息子に]嫁を迎える予定があるのでしょうか。それとも[娘が]嫁ぐ予定があるのでしょうか」と尋ねているところからすると、妻や子供とともにassama‐にいた可能性も排除はできないように思われます。とすると、ケーニヤという人物は修行者であると同時に家長であったのかもしれません。事実、Mahâbhârata 3. 94‐97に現れるアガスティヤという聖者はそのような人物として描かれております。ここでは、聖者アガスティヤは、祖先がコウモリのような姿で洞窟の中でぶら下がっている姿をみて、妻を娶り子孫を残すことで祖先をそのような地獄の状態から解放することを決意し、それを実行した人物として讃えられております。ですから、âšrama‐における苦行・禁欲生活と、家庭生活は一見矛盾しているようですが、古代インド文学において妻や子供を従えてâšrama‐で生活する修行者の姿もしばしば描かれているところからすると、そのような修行形態も必ずしもとがめられるものではなかったようです。その例としましては参考資料に、Yâjñavalkyasmrtiの文章を載せておきましたので、後ほどごらんいただければ幸いであります。

ところで、この物語においてもう一つ注目すべき点は、子孫を残さないために祖先が地獄で苦しんでいるという考え方であります。このような観念は、ヴェーダ文献のかなり古い部分にも見いだすことができます。紀元前800年頃と推測されますTaittirîya‐Samhitâという文献には、人には生まれながらに3種の負債(rna‐)があり、神々に対しては祭祀、聖仙に対してはヴェーダの学習、祖先に対しては子孫の繁殖という義務を負う、と説かれております。このような倫理観はバラモン達の間では時代を越えて強く認識されていたようであり、Dharmasûtraにおいては、3つの負債という教義が繰り返し、登場しております。

しかしながら、3つの負債という教義には解決しがたい矛盾が内在しております。すなわち、子孫を残すためには世俗的な家長としての義務を果たさねばならないのですが、他方ではヴェーダの学習を徹底し聖仙(rsi‐)の世界に近づくためには、禁欲し世俗的欲望を一切捨てねばならない、と説かれていることであります。言い換えれば、ここでは、種としての繁栄を求める道(世俗主義)と、修行者としての成功を求める道(脱俗主義)の2つが同時に説かれているのです。

Dharmasûtraと呼ばれる文献を作った知識人の間でも、このことは大きな問題として議論されていたようでありまして、その議論の中で、âšrama‐という言葉をキーワードとしてその解決を図ったことが、Olivelleの著書により明らかにされたことであります。

すなわち、かれらの間で議論の対象となったのは、修行の場所(âšrama‐)をどこに求めるかという点であります。Baudhâyana‐DhS, Gautama‐DhSの作者たちは、基本的に「家(grha‐)」のみが正しいâšrama‐であるので、家住者(grhastha‐)のみが正しいとされます。この説は、Gautama‐DhSは「単一アーシュラマ説(aikâšramya‐)」と名付けられております。かれらの立場は次のように要約することができます。

「家住者以外の3つは、いずれも独身生活を基本としているので子孫を残せない。子孫を残さなければ先祖に対する負債を返済することはできない。負債を返済することなくして、宗教的至福にどうして到達し得ようか。また、家住者は生産活動をしており、その他のアーシュラマを支える根本でもある」

このようなかれらの立場においては、林住生活や遊行生活というのは、老後の生き方としてのみ認められており、家長生活の重要性とは比較にならないものでありました。

一方、この単一アーシュラマ説と逆の立場をとるのが「 選択説(vikalpa‐) 」とよばれる考え方であります。Gautama‐DhS/Baudhâyana‐DhSにおいては、対論者の意見(pûrvapaksa‐)として、師のもとでのヴェーダ学習が終わった青年(snâtaka‐)は、その時点で今後のâšrama‐を選択することができる、という選択説(vikalpa‐)が述べられております。選択肢としては、梵行者(brahmacârin‐「ヴェーダ学生」)、家住者(grhastha‐)、林住者(vânaprastha‐)、遊行者(parivrâjaka‐/ samnyâsin‐)、という4つであり、いずれも一つを選択したら、途中で変えることはなく、死ぬまでその生活を行うものとされます。Gautama‐DhS/Baudhâyana‐DhSにおいては、この説は激しく非難されておりますが、âpastamba‐DhS, Vasistha‐DhSにおきましては、単一アーシュラマ説にくわえて選択説の立場も正しい生き方として容認されております。

しかしながら、選択説を許すとなると、何を選ぶかは個人の自由に任されるわけでありますので、それは本来何が正しい生き方かを規定すべく作られたはずのDharmasûtraの存在価値すら揺るがしかねないものでありました。それゆえ、次の時代の文献には、このようなDharmasûtraの弱点を解消する必要が生じたわけであります。

Dharmasûtraではsûtraと呼ばれる記憶のために語句を切りつめた省略形式の文体が中心となっているのに対し、Dharmasûtraに続く時代に登場したManusmrtiにおきましては、Mahâbhârata等と同じく、šlokaと呼ばれる韻文で全編が構成されております。このManusmrtiの作者の独創は、4つのâšrama‐を「一人の人生において通過すべき修行段階」ととらえたことであります。この説は、段階説/積上説(samuccaya‐)と呼ばれております。すなわち、学生期、家住期、林住期、遊行期と進むことが理想的な人生であるとしたことであります。

そのことを述べているのが以下の偈であります (渡瀬信之訳)。

6.1. スナータカとなったブラーフマナは、規則に従って以上のように家というアーシュラマに位置した後、心を定め、正しく感官を制御して森に住すべし。

6.2. 家長は、自らに皺と白髪を見つけ、また子供に子供ができたのを見たならば、荒れ野に向かうべし。

6.33. このように森で人生の第三区分を過ごした後、執着を捨て去り、人生の第四区分を遍歴すべし。

6.34. アーシュラマからアーシュラマへと移り、火中への供物の献供を果たし終え、感官が制御され、施物とバリ[を献供すること]に疲れ果てた後に遍歴する者は、死後において栄える。

6.35. 三種の負債を返済した後に、心を解脱に向けるべし。返済しないで解脱に励むときは地界に赴く。

ここでは、人生の前半において「子孫の繁殖」を達成した者が孫ができるほど年老いたならば、林住生活を送り、死の間際には遊行することを勧めております。ここに説かれている立場は、基本的には単一アーシュラマ説(aikâšramya‐)と同じく、家住生活を最も重視する立場でありますが、人生の晩年においては林住生活と遊行生活が勧められております。Manusmrtiの作者は、これによって、バラモン教においてもすでに顕在化していたと思われます「世俗主義」と「脱俗主義」という矛盾を解消することを目指したわけです。また、Olivelleも推測しておりますように、入門式や結婚式などの通過儀礼(samskâra‐「浄めの儀式」)と組み合わせることで、一つの人生モデルを形成するのにも役立ったように思われます。また、経済的な面からみてみますと、林住生活を導入した背景には、遺産相続の問題も関係していたものと思われます。すなわち自らの意思で林に隠遁するということは、その前に遺産を自らの手で息子達に分配しなければならない、ということでもあるわけです。すでにDharmasûtraにおいては、父親がまだ生きているうちに遺産の分配を行うことが説かれておりますし、Mahâbhârataにおきましても王が自ら退位して隠遁することは美徳とされております。

とはいえ、このような苦心の作とも言えるsamuccaya説は、人間が抱える矛盾を真正面から解決するというよりは、「アーシュラマ」の意味を「途中で変えることを許されない修行場」から「一時的な修行段階」にすりかえることによって、その矛盾から目をそらしたとさえ言えるかもしれません。しかしながら、一つの理想モデルを示すと同時に、4つの生き方を容認するというこのsamuccaya‐説は、問題を曖昧化することによって、現実世界に生きる、より多くの人間に受け入れられた、とも言えるでしょう。

近年は科学の世界でも「複雑系」という言葉が流行っているようでございますが、現実世界は「世俗」とか「脱俗」とかいう言葉で割り切れるほど単純なものではありませんので、その意味で、Manusmrtiの立場はより現実的であったのかもしれません。

また、我々仏教徒の立場から見ましても、お釈迦さまが、結果的にはでありますが、このsamuccaya‐説に近い形の生涯を送ったことも、たとえ偶然の一致であるとしても興味深いことであります。

まとめ

元来、現在のイラン方面からインドに移住してきたと考えられますヴェーダの担い手は、おそらく数百年という長い時間をかけてインドの東方にまで徐々に移住していったものと思われます。それに従い、ヴェーダの宗教であるバラモン教は、現地の宗教を取り込みつつ、自らが変容することで次第に現在のヒンドゥー教と呼ばれる宗教に近づいていきました。「修行場」としてのアーシュラマは、ダルマ・スートラにおいて議論されるようになった概念であり、ヒンドゥー教の代表的聖典であるManu‐Smrtiの時代には、一人の人生において通過すべき4つの段階を意味するようになりました。バラモン教においても「世俗主義」と「脱俗主義」という矛盾は解決しがたい問題でありましたが、人生の異なる時期に、それらを分配することによってその解決を図ったのです。

また、梵行者・家住者とはある意味でヴェーダ的修行者といえますが、そのような人が人生の後半においては林住者・遊行者となることを説くことによって、林住者・遊行者という非ヴェーダ的修行者(「沙門(šramana‐)」もこの中に含まれるものと存じますが)に起源をもつ人々をも自らの宗教にとりこもうとする、バラモンたちのしたたかな戦略をうかがうことができます。Manu‐Smrtiの影響力は、近代に至るまで甚大であり、その意味でバラモンたちによるアーシュラマの意味論的改変は成功を収めたといえるでしょう。

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